東急電鉄
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東急電鉄の歴史

東急電鉄 東京急行電鉄は、目黒蒲田電鉄の設立(1922年9月)に始まります。
1939年10月に商号を東京横浜電鉄に変更、戦時中の1942年5月に陸上交通事業調整法に基き、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)と小田急電鉄を合併して現在の東京急行電鉄に改称しました。
1944年5月に京王電気軌道(現:京王電鉄)も合併し大東急時代として一時期を画しました。
戦後に大東急は解体し、1948年に小田急電鉄・京王電鉄・京浜急行電鉄は分離独立しました。

※1969年11月から2008年2月まで東急全線を運行した8000系です。
8000系(模型:Oゲージ)
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年 月 記    事
1923年11月 目蒲線「目黒〜蒲田」駅間を全線開通をする。
1929年12月 大井町線「大井町 〜二子玉川」駅間を全線開通をする。
1932年03月 東横線「渋谷〜桜木町」駅間を全線開通をする。
1934年10月 目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道(池上線)を合併する。
1938年04月 東京横浜電鉄が玉川電気鉄道(玉川線)を合併する。
1938年10月 目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄を合併する。
1938年10月 目黒蒲田電鉄が東京横浜電鉄に商号変更する。
1942年05月 京浜電気鉄道、小田急電鉄を合併して東京急行電鉄に商号を変更する。
1943年07月 大井町線が「溝の口」駅まで乗り入れを開始する。
1944年05月 京王電気軌道を合併する。
1947年03月 江ノ島電気鉄道が東急グループから離脱する。
1948年06月 小田急電鉄、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)が分離独立する。
1963年10月 大井町線を田園都市線に改称する。
1969年05月 玉川線(軌道線)「渋谷〜二子玉川園(現・二子玉川)」駅間を廃止する。残存区間である「三軒茶屋〜下高井戸」駅間を世田谷線(軌道線)に改称する。
1979年08月 営団半蔵門線との相互直通運転開始に伴い、田園都市線と新玉川線の相互直通運転を開始する。田園都市線から旧・大井町線区間を大井町線として再分割する。
2000年08月 東横線「多摩川〜武蔵小杉」駅間の複々線化に伴い、目蒲線>を目黒線「目黒〜多摩川〜武蔵小杉」駅間と東急多摩川線「多摩川〜蒲田」駅間に分割する。田園都市線「二子玉川〜中央林間」駅間と新玉川線「二子玉川〜渋谷」駅間を田園都市線に名称統合して新玉川線を名称廃止にする。
2000年09月 目黒線・営団南北線・都営三田線との相互直通運転の開始する。(9月26日)
2004年01月 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い、東横線の「横浜〜桜木町」駅間を廃止する。(1月31)
2008年06月 東横線の「武蔵小杉〜日吉」駅間複々線化工事完成に伴い、目黒線を「武蔵小杉〜日吉」駅間まで延伸する。
2009年07月 田園都市線の「二子玉川〜溝の口」複々線化工事完成に伴い大井町線を「二子玉川〜溝の口」駅間まで延伸する。
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玉電の歴史

資料写真 玉川線(玉電)は、1907年(明治40年)に「渋谷〜二子玉川園」間の軌道線で開業しました。当時は二子玉川(多摩川)付近の砂利を東京都心に輸送することを主目的でした。
その後1920年9月に砂利運搬の貨物列車を東京市電気局(東京市電)への直通運転を計画し、軌道幅を1,067mmから1,372mmに改軌しました。
1924年には「二子玉川園〜砧本村(砧線)」間が開業し、1925年(大正14年)に 「三軒茶屋〜下高井戸(現・世田谷線)間を開業し「渋谷〜下高井戸」間の直通運転も行われました。昭和に入り、1927年に「渋谷橋(天現寺線)〜中目黒」間に至る中目黒線と「二子玉川園〜溝ノ口」間に至る溝ノ口線を開業します。
1934年に政令で「二子橋より下流での砂利採取が全面禁止」という事態になり、玉電は、旅客輸送が中心となりました。1938年に玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併され、1942年に社名変更に伴って東京急行電鉄となり、更に目黒蒲田電気鉄道も合併して現在の東京急行電鉄の前身が形成されました。
玉電は、国道246号(玉川通り)の地上と地下を首都高速3号渋谷線と新玉川線一体化建設という都市計画によって支線の「三軒茶屋〜下高井戸」間を除き、1969年5月11日に軌道全線が廃止されました。
1977年4月7日に開通した新玉川線は、2000年8月6日に新玉川線が田園都市線へ編入され「渋谷〜中央林間」駅までが現在の園都市線となり、同時に二子玉川園駅を二子玉川駅に改称しました。
200形(1/80模型)
資料写真
デハ200形静態保存車
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資料写真 ●5000形
旧5000形は1954年〜1959年に105両が製造された東急の名車です。(鉄道線車両)
電車のイメージを一新する高性能な走行機器と軽快なスタイルは一世を風靡しました。全電動車が常識の時代に「モーターのない付随車を組み込んだ」MT編成は、当時として画期的なものでした。利用客に青ガエルという愛称で呼ばれてました。
約30年の運行を終えて1986年に東急全線より引退し、一部は長野電鉄や岳南鉄道などに譲渡されました。
※左は渋谷駅ハチ公前に2006年10月から展示されているデハ5001号。
台車は撤去されてます。
デハ5001カットモデル
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電車とバスの博物館

資料写真 ●目黒蒲田電鉄車両で使われていたプレート
目蒲線は東京急行発祥の路線です。現在は運転系統が多摩川で分離します。
目黒から田園調布までの6.5kmを走る電車は、東横線と複々線で武蔵小杉まで併走します。この系統は、目黒線という名称になりました。
多摩川から蒲田までの5.6kmは東急多摩川線と言う名称となり、目黒線とは完全に分離しました。

※写真は川崎車両製作車両(現・川崎重工)のプレートです。
川崎車両作車両のプレート
資料写真 ●デハ1形(目黒蒲田電鉄)
1920年9月の改軌後に東京市電気局(東京市電)直通運転の際に投入されたデハ1形は、1924年迄に15両が製作されました。
製造は枝光鉄工所・鶴見木工所・蒲田車両で枝光製が前後扉付で他がオープンデッキになっています。側窓はすべて10枚ですが、枝光製が2×5、他が3+4+3という割合で並び、運転台は低床仕様です。
台車はブリル76E1を使用。ダブルポールを前後に装備しています。玉川線の廃止と共に1969年5月に廃車されました。
デハ1形(1/20模型)
資料写真 ●デハ200形(204号)
華々しいデビューを飾った玉電(玉川線)の看板電車は、1955年にデハ201〜206の6編成が東急車輌製造で製造され、愛称をペコちゃんと呼ばれてました。
当時、軌道線の「出力50馬力・定格速度28km/h」という条件から、発電ブレーキの常用を前提として端子電圧を低く設定し、更に磁気回路の縮小専用品として高定格回転数とする事で新規設計された主電動機を、前後のTS-302台車に各2基ずつ搭載しています。主制御装置は電動カム軸式抵抗制御装置を採用しました。
デハ200形静態保存車
資料写真 ●デハ200形(1軸連接台車)
デハ200形は前後2つの車体を連接台車で結合した連接2両固定編成です。
車体鋼材は、高抗張力鋼を使用して旧・日本海軍の航空機技術を応用したモノコック構造を採用した結果、大幅な軽量化を実現しました。
連接台車の利点は、加減速時の前後衝動が少なく、乗り心地が向上する点ですが、
現在の世田谷線を運行する300系も連接2両固定編成が継承されてます。
デハ200形の連接台車
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東急電鉄 東急電鉄 東急電鉄 東急電鉄
モハ6形 デハ3600形 デハ60形 デハ80形
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資料写真 1928年の路線図
玉川電気鉄道・東京横浜電鉄・目黒蒲田電鉄・池上電気鉄道が合併する前の路線図ですが、廃止・延伸はあっても、ほぼ現在の原型となってます。
世田谷線「三軒茶屋〜下高井戸」間の軌間は、1,372mmの軌道線です。
他の東急各路線は、狭軌(1,067mm)の鉄道線です。
1928年の路線図
資料写真 1959年の運賃表
初乗り10円ですが「渋谷〜横浜」駅間が6倍の60円となっています。
切符は懐かしい硬券を使用し、駅員さんに改札で鋏を入れて貰う時代です。
2010年現在は初乗りが120円「渋谷〜横浜」駅間が260円の2.2倍です。
1959年の運賃表
資料写真 ●長津田車両工場
1972年に元住吉工場が長津田に移転して長津田工機事務所として発足後1973年に長津田車両工場に改称しました。
東京急行電鉄・横浜高速鉄道の全車両を整備します。
軌道線である世田谷線の車両は、台車や電気機器を長津田に陸送して作業を行い、車体更新・他社への車両譲渡の際の改造は、併設されている東急テクノシステムが担当をしています。所在地はこどもの国線恩田駅に隣接します。
●長津田検車区
長津田検車区は、1979年に鷺沼検車区が長津田に移転して発足しました。
長津田工場(模型)
資料写真 資料写真 敷地面積が70081平方メートルあり、最大留置車両数は404両、留置線を18線保有します。所属路線は、田園都市線、大井町線、こどもの国線です。自社車両以外に直通運転している東京地下鉄半蔵門線8000系・08系と東武鉄道伊勢崎線30000系・50050系も留置されます。また東急全路線の新造車両の受領を担当します。(世田谷線用を除く)
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資料写真 ●デハ600形(601F)
デハ600形は1953年迄に28両が製造されました。当時の玉川線で主力車両でしたが1969年同線廃止に伴い、連結2人のり改造をしたものは廃車になりました。
改造施工しなかった両運転台車両(連結面側の運転室)は、1970年に江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)へ譲渡され、600系と改名し江ノ島電鉄で1990年まで運行されました。
※世田谷区宮坂区民センター前で静態保存されるデハ601です。
世田谷線「宮の坂」駅前にあります。
デハ600系
資料写真 ●電車とバスの博物館
東急電鉄が運営する電車とバスの博物館は田園都市線「宮崎台」駅の改札を出ると目の前にあります。ここには電車バス関連の保存・展示、東急線HOゲージレイアウト、電車(モハ510・8090系)やバスの運転、飛行機(YS-11)のシミュレータも設置されています。上記写真は当所で撮影しました。
入場料:大人(高校生以上)100円 子供(小中学生)50円
開館日:平日・土曜日10:00〜17:00 日曜日・祝日9:30〜17:00
休館日:毎週月曜日(祝祭日の場合は翌平日) 年末年始(12/29〜1/3)
電車とバスの博物館エントランス
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東京急行電鉄現有路線(総延長キロ数 : 104.9km)
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路 線 区    間 区間距離 記    事
東横線 渋谷〜横浜〜元町・中華街 24.2km 「横浜〜元町・中華街」駅間まで横浜高速鉄道より業務委託。
目黒線 目黒〜日吉 11.9km 「田園調布〜日吉」駅間5.4kmは東横線と複々線。
田園都市線 渋谷〜中央林間 31.5km
大井町線 大井町〜溝の口 12.4km 「二子玉川〜溝の口」駅間2.0kmは田園都市線と複々線。
池上線 五反田〜蒲田 10.9km
東急多摩川線 多摩川〜蒲田 5.6km
こどもの国線 長津田〜こどもの国 3.4km 単線。横浜高速鉄道より業務委託。
世田谷線 三軒茶屋〜下高井戸 5.0km 単独路線。軌道線。
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他社線との直通運転
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路 線 区    間 相互乗り入れ先
東横線 横浜〜元町・中華街 東京地下鉄「副都心線」横浜高速鉄道「みなとみらい線」
東横線 渋谷〜小竹向原〜和光市 東京地下鉄「副都心線」(2012年接続予定)
目黒線 目黒〜赤羽岩淵 〜浦和美園 東京地下鉄「南北線」 埼玉高速鉄道「埼玉高速鉄道線」
目黒線 目黒 〜西高島平 都営地下鉄「三田線」
田園都市線 渋谷〜押上〜南栗橋・久喜 東京地下鉄「半蔵門線」東武鉄道「伊勢崎線」「日光線」
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廃止路線
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路線 種別 廃止区間 区間距離 廃止年月日
玉川線 軌道線 渋谷〜二子玉川園(現・二子玉川駅) 9.1km 1969年5月11日廃止
天現寺線 軌道線 渋谷〜天現寺橋 2.7km 1948年3月10日東京都に譲渡
中目黒線 軌道線 渋谷橋〜中目黒 1.4km 1948年3月10日東京都に譲渡
砧線 鉄道線 二子玉川園〜砧本村 2.2km 1969年5月11日廃止
新奥沢線 軌道線 雪ヶ谷(現・雪が谷大塚)〜新奥沢 1.4km 1935年11月1日廃止
東横線 鉄道線 横浜〜桜木町 2.0km 2004年1月31日廃止
東横線 鉄道線 渋谷〜代官山 1.4Km 2013年3月16日廃止(地上駅)
日比谷線 鉄道線 中目黒〜北千住(東京地下鉄管内) 乗入線 2013年3月16日乗入廃止(東京地下鉄)
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東京地下鉄「副都心線」との相互直通運転
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渋谷駅構内 渋谷駅構内 渋谷駅構内
副都心線渋谷駅 東急東横線入線路 副都心線渋谷駅ホーム  
東急電鉄は、2013年3月16日からの東横線と東京地下鉄副都心線の相互直通運転に向けて「代官山〜渋谷」駅間を地下化する大規模工事を行いました。現在の東横線渋谷地上駅は廃止され、副都心線の渋谷駅に地下で連結されます。
それに伴い「中目黒〜横浜」駅間を10両編成の列車が停車可能にする為に特急・通勤特急・急行の停車駅は、ホーム延伸工事を行いました。写真は開通前のものです。
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東急東横線横浜駅脱線事故[1986年3月13日]
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東急東横線横浜駅構内において、元住吉発桜木町行き急行電車(9000系8両編成)の最後尾が脱線。負傷者はいませんでした。原因は、輪重比不均衡で乗客乗降の荷重急変に追従出来なかった為と考えられ、以降、東急では輪重比10%以内(輪重0.9〜 1.1)に管理、脱線防止ガード設置基準を半径450R以下の曲線へ引き上げるという基準を独自で制定しました。
その後、日比谷線中目黒事故において東急と同じ輪重管理と新たにガードレール設置判別式を制定し、全事業者に採用されましたが、運輸省(当時)はこの時点では他事業者に対する注意喚起をしませんでした。
この結果、2000年(平成12年)3月8日に明暗が分かれます。日比谷線脱線衝突事故です。
当時、営団(現・東京地下鉄)は、経営陣の間違った方針(体質)によって脱線防止ガードを設置せず、東急東横線との分岐駅「中目黒駅」で死者5名、負傷者64名を出してしまうのです。詳しくはこちらをご覧下さい。
東急東横線元住吉駅追突事故[2014年2月15日]
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首都圏が大雪に見舞われた2月15日未明に停車中の普通電車に後続電車が追突しました。東急電鉄は15日夜に会見を開き、大雪でブレーキ力が低下していたことが事故原因との見方を示しました。追突した車両に設置されていた前方車両接近時に速度を自動的に抑制する自動列車制御装置(ATC)は正常に作動していたとしてます。 ブレーキは制輪子(ブレーキシュー)で車輪を押さえつけて停車する仕組みだったが雪が間に入り込んで制動力が落ちていたとみられるそうです。東横線では大雪に見舞われた事故前の14日、オーバーランが10件発生し、うち2件は同駅で起きました。追突された電車も約30メートルオーバーラン。追突した車両の運転手は無線で運転司令所に「なかなか速度が落ちない」と話していたと説明してます。追突された車両は、Y500系(横浜高速鉄道)Y516F編成でした。 ニュース
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※内容は随時に加筆修正を行います。
解説参照:ウィキペディア 東京急行電鉄 電車とバスの博物館
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