東京地下鉄
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日本初の地下鉄

資料 資料 資料
1000形1号車 1000形車内 1000形運転席
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東京地下鉄道1000形
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東京の地下鉄の歴史は、1927年に東京地下鉄道株式会社が「浅草〜上野」駅間を開業した事で始まりました。
第三軌条方式で電気を取り入れ、難燃化の為に鋼鉄車体を採用し、追突事故を防止する為に打子式ATSやドアーエンジンを等も取り入れた当時としては保安度の高い設計になっています。
その後路線は新橋駅までの延伸と東京高速鉄道「新橋駅〜渋谷」駅間の相互直通運転開始を経て、現在の銀座線が形成されました。最初に投入された地下鉄車両が上写真(1)〜(3)の1000形でした。
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帝都高速度交通営団から東京地下鉄へ
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営団とは日中戦争遂行の為の統制管理目的の組織でした。戦後、GHQの指令によってほとんどの営団は解体されましたが、帝都高速度交通営団は、その運営が戦争目的ではないと認められて存続するに至り、国鉄(日本国有鉄道)と東京都が出資する特殊法人で運営されました。
当時から特殊法人でありながら日本民営鉄道協会(民鉄協)に加盟していたので大手私鉄の一員でもありました。
2004年4月に民営化され東京地下鉄株式会社となりました。
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地下鉄博物館

資料 ●300形(丸の内線)
300形は1954年に丸ノ内線「池袋〜御茶ノ水」駅間開業で前年に落成した両運転台構造車です。車両長18mの車体に片側3つの両開き式の客用扉を装備し、車幅は2,800mmで、銀座線の車両長16m、2,600mmと比べ一回り大きくなっています。
ニューヨーク市地下鉄から意匠供与され、WH社の主電動機やブレーキ装置等の高性能車システムのライセンス契約を結んだ上で製造されました。製造メーカーは汽車製造、日本車輌製造、近畿車輛、川崎車輛です。301〜330号車までの30両が1995年まで営業運転を行い02系に置換えられました。
300形301号車(静態保存車)
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運転台 抵抗装置 FS301台車 コレクターシュー(集電靴)
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資料 ●2000形(銀座線)
2000形は銀座線用の標準型車両として1959年から1963年までの間に104両が製造されました。2000形は主ブレーキ方式が三動弁による自動空気ブレーキのみで、補助電源の電動発電機(MG)がなく第三軌条のセクションや力行時に瞬間停電がありました。1984年から01系増備に伴い置き換えが始まり一部の車両は日立電鉄と銚子電気鉄道に譲渡されました。1993年7月に銀座線は、01系統一で保安装置を打子式ATSからCS-ATCになりました。
2000系(1/20縮尺模型)
資料 ●01系(銀座線)
01系は1984年1月に営業運転を開始し、1997年迄に228両が製造されました。
制御方式は第1編成から第36編成まで高周波分巻電機子チョッパ制御を採用し、以降38編成まではIGBT素子VVVFインバータ制御を採用しています。
主電動機にはかご形三相交流誘導電動機(120kW)を搭載してます。
01系(1/20縮尺模型)
資料 ●5000系(東西線)
5000系は1964年に東西線で登場しました。
営団地下鉄(現・東京地下鉄)で初の20m級車両で1981年迄に428両が製造されましたが、東西線から2007年に運行離脱しました。
5000系(1/20縮尺模型)
資料 ●9000系(南北線)
9000系は1991年11月29日の南北線の部分開業に併せて4両編成で登場しました。
その後「四ツ谷〜駒込」駅間の延伸開業時に、6両編成化になりました。
ワンマン運転の安全性や停止精度を高める為に人工知能(AI)を組み込んだATOを採用して「出発ボタンを押すだけで加速から駅停車」まで自動運転が行われます。
9000系(1/80縮尺模型)
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資料 ●地下鉄博物館
交通案内:東京地下鉄東西線「葛西」環七通りの横断歩道を渡り正面。
開館時間:午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日時:毎週月曜日(祝日の場合翌火曜日)年末年始(12/30〜1/3)
入場料金:大人210円  小人100円(満4歳以上中学生まで)
※本ページの写真は当所で撮影致しました。
地下鉄博物館エントランス
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綾瀬車両基地
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綾瀬車両基地は、綾瀬検車区と綾瀬工場の総称で、東京地下鉄の車両基地で最大面積(141,810m2)の敷地を持ちます。
綾瀬検車区は1969年12月に発足し、車両留置能力は273両、千代田線・有楽町線・副都心線・南北線・埼玉高速鉄道の車両が入区します。1971年7月に発足した綾瀬工場は、年間検修能力1,500両程度を持つ工場で、法定検査である重要部検査を4年又は走行距離60万km以内、全般検査は8年以内を行ってます。また車庫への引き込み線を旅客線化して千代田線北綾瀬支線「綾瀬〜北綾瀬」駅間を1979年12月から開業しました。
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【東京メトロスマイルフェスタ鉄道基地イベント 2010 in AYASE】 (2010年11月28日)
綾瀬車両基地で一般公開されたイベントは、車両撮影会(16000系、6000系、06系、小田急4000形)と日比谷線3000系の展示と車内見学、車両吊り上げ実演(6000系)、鉄道模型運転体験、メトロ・プラレールコーナー、電気回路操作体験、ドア開閉体験、各種グッズ販売などのアトラクションが展開され充実した内容でした。
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中野車両基地
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東京地下鉄 東京地下鉄 1961年に検車区と工場が発足して中野車両基地となりました。
中野工場は1988年に小石川分場を廃止して銀座線と丸ノ内線車両の重要部検査・全般検査を受け持つ事になり全面的な改修工事を行いました。中野検車区の敷地面積は59,248平方メートル、所属車両は02系(丸ノ内線)336両(本線用6両編成53本と支線用3両編成6本)です。所在地は丸ノ内線中野富士見町駅に近接します。
銀座線・丸ノ内線は他線との接続が出来ないので新造車搬入は、基本的に製造メーカーから甲種輸送で川崎貨物駅まで輸送され、そこからトレーラートラックによる道路輸送で中野検車区へ運ばれます。銀座線用の01系、丸ノ内線用の02系は、全車両が本検車区で搬入されました。またアルゼンチン地下鉄へ車両譲渡(300形・500形・900形)の搬出も本検車区から行われ、トレーラーで川崎埠頭まで陸送されました。
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東京地下鉄保有路線
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開業順の路線 区    間 距  離 相互乗り入れ先
銀座線 浅草〜渋谷 14.3Km
丸ノ内線 池袋〜荻窪間  中野坂上〜方南町 27.4Km
日比谷線 北千住〜中目黒 20.3Km 東急電鉄「東横線」東武鉄道「伊勢崎線」
東西線 中野〜西船橋 30.8Km JR東日本「中央緩行線」東葉高速鉄道「東葉高速線」
千代田線 綾瀬〜代々木上原間  綾瀬〜北綾瀬 24.0Km 小田急電鉄「小田原線」「多摩線」JR東日本「常磐緩行線」
有楽町線 和光市〜新木場 28.3Km 東武鉄道「東上線」西武鉄道「池袋線」」東急電鉄「東横線」(接続予定)
半蔵門線 渋谷〜押上 16.8Km 東急電鉄「田園都市線」東武鉄道「伊勢崎線」「日光線」
南北線 目黒〜赤羽岩淵 21.3Km 東急電鉄「目黒線」埼玉高速鉄道「埼玉高速鉄道線」
副都心線 和光市〜渋谷 20.2Km 東武鉄道「東上線」西武鉄道「池袋線」東急電鉄「東横線」(接続予定)
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鉄道事故史
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■営団地下鉄日比谷線神谷町駅車両火災事故[ 1968年1月27日]
営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線神谷町駅付近で、回送中の東武鉄道2000系(6両編成)の3両目の主抵抗器付近から出火して火災を起こし、1両が全焼、1両が半焼しました。事故列車は、六本木駅で主抵抗器が赤熱して付近から発煙している事が見つかったために営業を打ち切って乗客を降ろし、霞ケ関駅の側線へ向けて回送中だったので幸いにして死者は発生しませんでしたが、火災発生が駅と駅の中間だったために消火に手間取り、乗務員や消防士ら11人が負傷しました。
なお、全焼した車両は車体・機器ともすべて造り直され修理扱いで復帰しています。
火災の原因は、主抵抗器が過電流により過熱して、上部にある樹脂製電線管から出火し延焼したものとされました。
この事故の1時間ほど前、この編成が中目黒行きとして運行中に主制御器の進段トラブルが発生し、その際、3両目含む第2ユニット開放の処置を行ったが、3両目の主制御器は並列段の進段途中で停止したままになっており、北春日部への折り返し運転時、運転士が転換器を操作しても(ユニットが開放されている為)極性が転換せず、走行中は常時発電ブレーキがかかっている状態となっていたのが主抵抗器過熱の原因でした。
この事故で、当時の耐火基準の最高ランクだったA-A様式に該当する車両が1両全焼した事は、可燃性の車両部品の使用を見直すきっかけとなり、事の重大さを重く見た運輸省(現・国土交通省)は、営団中野工場内での実車燃焼実験等を含む抜本的検討を行い、翌1969年(昭和44年)5月に従来の通達に代わる「電車の火災事故対策について」を通達することによって新たな耐火基準(いわゆるA-A基準)を定め、火災事故対策を強化しました。この基準は世界的に見ても厳格なもので、以後の鉄道火災事故防止に貢献しています。
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■地下鉄日比谷線広尾駅車両火災事故[ 1972年11月21日]
帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線下りB871S電車(3000系8両・全電動車)が、広尾駅600m手前で過負荷継電器により編成内の電源が落ち、復旧後もノッチ操作に制御器が応答せず、力行不可能となりました。
電車は広尾駅で運転を中止し乗客を降車させました。直後の点検では車両に異常は認められませんでした。
しかし、乗客から「4両目の床下からボーンという音がした」「床下から少し煙が出ていた」という話を聞いた乗務員と駅係員は、編成を広尾駅の側線に待避させ、パンタグラフを降下させた上で再度点検する事にしました。
点検中、5号車(運転中の前から4両目)の断流器から発煙しているのを発見。粉末式消火器で消火を試みましたが、作業中に爆発音とともに煙の勢いが強くなり、待避した。その後煙がおさまらないため消防に通報しました。3539号車の断流器焼損、高圧ツナギ箱等の床下機器を一部焼損しましたが、死傷者はいませんでした。
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■営団地下鉄東西線列車横転事故[1978年2月28日 午後9時34分頃]
営団地下鉄東西線の中野行き快速列車(営団5000系10両編成)が、「南砂町〜葛西」駅間(当時西葛西駅は未開業)の荒川中川橋梁上で竜巻による突風を受けて後部2両が西船橋方面行きの線路上に横転しました。
1両が脱線し負傷者23人が出ました。当時、営団では地上部要所に風速計を設置、風速15m/s以上でブザーが鳴動、注意運転を指示、20m/sで列車運転を見合わせ、25m/s以上で運転休止を指示する事になっていました。
現場から800mの地点に風速計が設置されていましたが、大手町運輸司令所では警報ブザーは鳴動しませんでした。
当時、天候は、午後9時の気圧配置では、北緯40度東経137度付近に低気圧988mbがあり、不連続線の1本が東京上空を通過、非常に不安定な気象状況でした。
竜巻突風による被害は、午後9時20分頃、川崎市戸田で突風により民家8戸が全壊、60戸の屋根が飛ぶなど、被害区域は幅300〜500mの帯状の範囲、川崎市から市川市東方までの30kmの範囲、時間は25〜30分間に集中しました。
竜巻突風は時速80〜100kmで、北東ないし東北東に直進したものと考えられています。ステンレスカーの車重が問題となりましたが、その後の調査により、走行中の列車を竜巻が直撃する確率は、50〜100年に1回と計算され、不可抗力という結論になりました。脱線および転覆した2両は、橋梁上で復旧が困難と言う理由から現地解体され、その後同じ番号の車両が2両代替として新製されました。
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■営団地下鉄日比谷線中目黒駅引上線衝突事故[1992年6月16日 午前8時50分頃]
中目黒駅構内の引き上げ線ポイント上で、出庫中の営団3000系電車の後ろから3両目付近の側方に、入庫中の東武2000系電車が突っ込む形となりました。引上線での衝突事故のため乗客への被害はありませんでした。
直接的な原因は、東武2000系電車側に乗務の運転士の第2入換信号見落としですが、従前は本線停止目標位置の第1入換信号で制御していたものを、折り返し時間を短縮して線路容量を増やす為に入出双方向同時進入を許容し、第2入換信号まで進出するよう改めましたが、そこは引上線内としてATC防護を行わないので、支障限界まで10mしかなく、誤って過走したら停められる余地がなかったのです。
これは、本線ATC導入線区ではあるがATC設備設置下の事故ではありません。中目黒駅での事故は、台車フレーム破損による事故を起こした1965年(昭和40年)以来これが2度目になります。
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■営団地下鉄半蔵門線鷺沼車庫脱線事故[1992年10月・12月]
営団地下鉄半蔵門線鷺沼車庫内で続けて脱線事故が発生しました。軽量車体とボルスタレス台車への危惧が云われ、軌道区と検車区合同の社内調査委員会を設けて検討され、翌年5月輪重バランス測定の必要性を報告、さらに見積もりを行っていますが、営団はこれを取り上げずに、半蔵門線車両のみの輪重調整に留めた事で、後の「日比谷線中目黒事故」を防げなかったのです。軽量車体では台車対角線の重量の差が比率として大きくなり、脱線係数を大きくするので、軽量化に見あった輪重バランス調整が求められますが、横浜駅事故後の東急を除き、鉄道各社共全く行っていませんでした。
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■営団日比谷線脱線衝突事故[2000年3月8日午前9時1分頃]
帝都高速度交通営団(営団地下鉄〜現・現東京地下鉄)日比谷線において発生した列車脱線事故で、死者5名、負傷者64名を出しました。日比谷線を走っていた北千住発東急東横線直通菊名行き(営団03系電車)の最後尾車両(03-802)が、中目黒駅手前の急曲線における緩和曲線の捻れ部で、いわゆる乗り上がり脱線を起こしました。
機材線用横取りポイントにはみ出したところ、対向の中目黒発東武線直通竹ノ塚行き(東武20050系電車・モハ23852〜26852)と側面衝突、大破したのです。原因として、1車両の内の8輪にかかる重量の不均衡(輪重比)が30%に及んでいても放置され、半径160mの急カーブであるにも関らず護輪軌条(ガードレール)が無く多数の列車が集中し、レール塗油量が増す朝ラッシュの後であった事などが複合的要因により発生した事故だとされています。
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※内容は随時に加筆修正を行います。
解説参照:ウィキペディア 東京地下鉄 地下鉄博物館
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