流鉄・流山線
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流鉄の歴史

流鉄は1913年(大正2年)11月7日に流山町民116名の出資により流山軽便鉄道(762mmゲージ)として開業しました。
常磐緩行線馬橋駅から流山駅まで全6駅5.7kmの路線です。
東京都内から訪れるには東京地下鉄千代田線(我孫子・取手・柏)行き乗り換えなしで馬橋に行けます。
東京から一番近くにあるローカル線を堪能出来る鉄道です。
※写真左下は、馬橋駅に入線する「青空」右手は通過する常磐快速線です。
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流鉄 流鉄 流鉄
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1924年に常磐線との貨車直通運転を開始する為に762mmゲージから1,067mmゲージへ改軌します。
その後、陸軍糧秣本廠流山出張所が現平和台駅の南西に完成して市民の鉄道から軍用鉄道に変わり、戦時中は軍事目標として攻撃され悲惨な歴史がありました。
1949年(戦後)に電化が完了し、国鉄から直流1,500Vの電力を購入して電車3両で運行を開始します。
当時の電化私鉄で変電所を持たないのは流山電鉄だけでした。
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流鉄 流鉄
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1967年(昭和42年)6月20日に流山電鉄へ社名を変更します。同年7月に「小金城趾」を列車交換駅に更新し、列車本数を上下各32本から各46本に増発する事になりました。
1978年には西武鉄道から車輛(18両)を譲渡し、各編成毎に車体色を変え、オレンジ色の「流星」青の「流馬〜青空」銀の「銀河」若草色の「若葉」黄色の「なの花」赤の「あかぎ」という愛称が付けられました。
1984年に国鉄との貨車直通取扱を廃止します。
1990年には念願の西平井変電所が稼働します。
2008年8月に社名を流鉄に、路線名を流山線に変更し現在に至ります。
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西武鉄道からの車両譲渡

流鉄の車両は西武鉄道から譲渡されています。その甲種列車輸送は西武線内を101系が担当します。
「秋津駅〜新秋津駅」間の西武・JR連絡線を入線し、JR線武蔵野貨物線「新秋津〜越谷貨物ターミナル」間を新鶴見機関区所属のEF65が担当「越谷貨物ターミナル〜馬橋」間は新鶴見機関区所属のDE10が担当「馬橋〜流山」間は流鉄2000系が牽引を担当しました。
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流鉄流山線 車と列車衝突脱線

列車事故
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2014年7月11日午後2時すぎ、流山市と松戸市を結ぶ流鉄流山線の松戸市大谷口の踏切付近で、線路内に入った乗用車と電車が衝突しました。警察と消防によりますと、男女2人が乗った乗用車が大破し死亡事故となりました。現場は、細い道路と線路が交わる警報機や遮断機のない踏切で、事故の電車は流山駅発馬橋駅行きの5000系「流星」2両編成でした。
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車両解説参照:ウィキペディア banner
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著作権
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