江の島電鉄
トップページ 車両の写真 路線の沿革 ブランク ブランク 停車駅案内

江ノ電の歴史

江ノ島電鉄は、1902年9月に江之島電氣鐵道が「藤沢〜片瀬(現・江ノ島)」駅間を開業させた事に始まります。
以降順次延伸され、1910年11月に小町(後の鎌倉駅)まで開業しました。
路線距離は、10.0kmに駅数15(路線は単線)を保有してほぼ現在の路線に至ります。
会社の経緯は、1911年10月に江之島電氣鐵道は横浜電気に買収され横浜電気江之島電気鉄道部となります。
資料写真 1921年5月には横浜電気が東京電燈に買収され運営も引き継がれますが、1926年7月に設立された江ノ島電気鉄道株式会社(現法人)が東京電燈の本路線を譲り受けます。こうして江ノ電は1928年7月にスタートしました。
1938年10月に小田急電鉄と同様、戦中の陸上交通事業調整法により、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)に統合されてしまいます。
戦後に東急持ち株の大部分が放出され、東急グループを離脱します。1949年3月に小町駅を国鉄鎌倉駅構内に移転し鎌倉への乗り入れを開始します。1953年に小田急電鉄の関連会社となります。
1965年 (昭和40年)頃、玉電と同様にモータリゼーションの影響で利用者が低迷し、江ノ島電鉄線の廃線が検討の俎上に上がります。
最後の300形305編成
資料写真 ところがこの時期にヒットしたテレビ映画(NTV系)「おれは男だ!」「俺たちの朝」などで舞台となった七里ヶ浜と共に江ノ電が注目される事になり、観光客が増加して廃線は避けられました。
1980年7月に1000形電車が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞します。
1981年9月に江ノ島電鉄株式会社に商号変更をします。
1989年度の決算報告で1975年以来の累積赤字3億5000万円が解消されたと発表されます。また2009年10月に京福電気鉄道と姉妹提携を締結します。
space
今の江ノ電って?
space
資料写真 東京から一時間弱の距離でローカル線の雰囲気を満喫出来て沿線が若くて明るいイメージの湘南と、かつて幕府があった古都鎌倉があり、多くの観光名所や名勝が多数存在し、車両と路線が特徴的で被写体に良好な事からテレビドラマやグラビア写真の撮影に利用される事で有名な鉄道です。
開通以来一世紀が経つレンガ積みのトンネル(極楽寺駅〜長谷駅間)や近代的な鉄橋(鵠沼駅〜湘南海岸公園駅鵠沼鉄橋)や半径28mの急カーブ(竜口寺前)等々、鉄道の魅力が満載の路線です。
space
江ノ電は軌道線それとも鉄道線?
space
江ノ電は「江ノ島〜腰越」駅間に都電荒川線同様に軌道併用区間があります。
資料写真 開業時、路線は軌道条例(後の軌道法)に基づく路線(路面電車)としてスタートしました。戦時中の1944年軍部による政策で地方鉄道法の普通鉄道に変更されます。
その為に軌道運転規則による規制である車長30mを超えた車輌の運行(4両編成)も可能になっています。これは舗装された一般道路の中央を堂々と走る普通鉄道としては、日本で唯一の路線なのです。
ちなみに軌道鉄道の最高速度は、40Km/hです。(東急世田谷線・都電荒川線)
space
資料写真 資料写真 資料写真
space
江ノ島電鉄600系の不思議
space
600系は1970年に東京急行電鉄からデハ80系(87〜90)を譲り受けた車輌でした。
玉川線廃止時に改番したものですが、世田谷線に移籍時に連結2人のり改造が実施されずにいたものでした。
江ノ電に譲渡後に軌間の変更(1,372mm→ 1,067mm)や片運転台化などを施工して運用を開始しました。
その後の江ノ電100系増備で置き換えが決まり、1990年に引退しました。
資料写真 601-602編成の内、601号は、東京都世田谷区の東急世田谷線宮の坂駅脇の宮坂区民センターに静態保存されました。車体塗装は、東急ライトグリーンに戻されて江ノ電の車両番号表記と社名表記(EER)が残されています。

【現地案内】
現地は、東急田園都市線「三軒茶屋」駅または小田急線「豪徳寺駅乗換→山下駅」または京王線「下高井戸」駅から東急世田谷線に乗車して「宮の坂」駅下車です。
見学は無料で車内にも入れますが、機器類は外されています。
space
極楽洞
space
江ノ島電鉄 江ノ島電鉄 鎌倉市の都市景観条例によって2010年11月24日に極楽洞(坑口部分)が鎌倉市の景観重要建築物に指定されました。
「極楽寺〜長谷」駅間にある極楽洞は、電気鉄道のトンネルとして今なお建築当時の原型を留め全国的に極めて希少である事から指定されました。
space
江ノ島駅1番線ホームのジオラマ
space
江ノ島電鉄 江ノ島駅1番線(藤沢行きホーム)の展示室に1/150サイズ(Nゲージ)の鉄道模型レイアウト(ジオラマ)が公開されています。このジオラマは「江ノ電の運転士になりたい」という夢を持ちながら難病で亡くなった新田朋宏さん(当時16歳)が運転をしています。江ノ島駅に来られた際には是非、乗客になってあげてください。
space
江ノ電藤沢駅構内暴走脱線事故[1979年6月6日]
space
藤沢駅において、入線中)の電車2両が所定停止位置を超え、車止めの砂利を乗り越え車止め標識と線路終端施設に衝突し、乗客乗員負傷者70数名を出しましたが、幸い死者は出ませんでした。
この事故で先頭車1両(デハ301)の先頭台車が脱線しました。当時、当駅で終点の為、減速しながら所定の停止位置に止めなければならないところ、運転士の供述では「パチン!と音がしてブレーキが利かなくなった」状態になり、そのまま20数`の速度で、線路終端施設に衝突しました。
当時、江ノ電にはATS等の保安装置が無く、この事故を契機に保安設備の充実が図られ、以後、中小ローカル私鉄としては、十二分な保安設備の向上が図られましたが、線形の複雑さや地形(鎌倉は山に囲まれている)の為に、列車無線が100%の威力を発揮出来ず、現在でもCTC等の集中制御方式は見送られています。
しかし、細かいATSの設置などにより事故は皆無になっています。
space
検索 クイックメニュー 執筆:鉄次郎
※内容は随時に加筆修正を行います。
解説参照:ウィキペディア 江ノ島電鉄
space
著作権
space
ページカウント: ページアカウント トータルアカウント: トータルアカウント